クルジュ=ナポカ
クルジュ=ナポカ
Cluj-Napoca |
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位置 | |||
クルジュ=ナポカの位置 |
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位置 | |||
座標 : 北緯46度46分 東経23度36分 / 北緯46.767度 東経23.600度 | |||
行政 | |||
国 | ルーマニア | ||
県 | クルジュ県 | ||
市 | クルジュ=ナポカ | ||
市長 | Sorin Apostu(臨時代行) | ||
地理 | |||
面積 | |||
市域 | 179.5 km2 | ||
標高 | 410 m | ||
人口 | |||
人口 | (2021年現在) | ||
市域 | 28万6598人 | ||
その他 | |||
等時帯 | 東ヨーロッパ時間 (UTC+2) | ||
夏時間 | 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3) | ||
公式ウェブサイト : http://www.clujnapoca.ro |
クルジュ=ナポカ(ルーマニア語:
Cluj-Napoca,
ラテン語:
Claudiopolis)は、ルーマニア北西部の都市。「クルジュ」は「クルージ」とも表記する
歴史 [ 編集 ]
クルジュ=ナポカへの人間の居住は先史時代にさかのぼる。2世紀初め
ハンガリー王ラースロー4世は、1275年、トランシルヴァニアにいたザクセン人に対し、かつてのローマ都市ナポカの近くに植民するよう勧めた。この入植地はドイツ語でクラウゼンブルク Klausenburg と命名された(クラウゼは峠を意味する古い語で「峠の城」の意)。ルーマニア語のクルジュは「クラウゼ」に由来するとも、さらに地名自体ラテン語の 'clusum'(閉じた)に由来するとも、スラブ語のクリューチ(鍵) ključ(ハンガリー語 kulucs)に対応するとも推測されている。clusum 説はこの街が丘に囲まれていることに関係あると考えられている。またこの街に住んだハンガリー人は街をコロジュヴァール Kolozsvár と呼んだ。
1316年、クルジュは都市としての特許をカーロイ1世から得た。街は急速に発展し、ジギスムント(ジグモンド)王のとき、聖ミカエル大聖堂が建てられた。15世紀にザクセン人とハンガリー人の住民の数が等しくなると、ハンガリー王マーチャーシュ(1440年クルジュ生まれ)は、首席判事がザクセン人とハンガリー人から交互に出されるよう命令を出した。
1541年、クルジュはトランシルヴァニア公国の一部となった。公国の首府はアルバ・ユリアにおかれたが、クルジュはトランシルヴァニア公国の文化と宗教の中心となった。1581年、ステファン・バートリがイエズス会の学校をクルジュに建てた。1545年から
1791年、ハンガリーで最初の新聞がクルジュで発行された。1792年にはハンガリーで最初の劇団が設立された。1798年の大火で、街は大きな被害を負った。
1790年から1848年にかけて、また1861年から1867年にかけて、クルジュはトランシルヴァニア大公国の首都となった。またトランシルヴァニア議会がおかれた。 1830年初頭、クルジュはトランシルヴァニアにおけるハンガリー人の民族運動の中心となった。1848年の革命において、クルジュは12月にポーランド人のユゼフ・ベム将軍に率いられたハンガリー人に占拠された。
1867年、アウスグライヒ(妥協)のあとオーストリア・ハンガリー帝国が建国されると、クルジュとトランシルヴァニア大公国はふたたびハンガリー王国に編入された。この時期、クルジュはブダペストに次いで王国第2の都市であり、コロジュ県の県都とされた。
第一次世界大戦後、他のトランシルヴァニア地方とともに、ルーマニア王国の一部となった。1940年、第二次ウィーン裁定(Second Vienna Award)によりハンガリーに与えられたが、1944年10月、クルジュに駐屯していたハンガリー軍は
1950年まで、ハンガリー人はクルジュの住民のうち最大の人数を占めていた。1966年の国勢調査によると、185,663人の住民がおり、56%がルーマニア人、41%がハンガリー人だった。1974年に市は改称され、現在のクルジュ=ナポカとなった。12年市長を務めたジョルジ・フナールは反ハンガリー人感情を高めたことで注目される。クルジュ=ナポカにおけるハンガリー人の文化遺産を目立たなくするために、数多くの公共美術事業が企図された。
1994年と2000年に、クルジュ=ナポカは、 中央ヨーロッパ情報オリンピック(Central European Olympiad in Informatics、略称CEOI、1994年より開催)の開催地となった。
経済と交通 [ 編集 ]
ビール醸造、木製家具製造、乳製品加工、毛織物生産が行われる。近年は通信情報産業も盛んである。
鉄道・道路の結節点として、交通の要衝である。また クルジュ=ナポカ国際空港 があり、国内便・国際便の発着がある。ハンガリー・イタリア・ドイツ・オーストリアへの定期便のほか、夏には主に地中海地方へのチャーター便が運航される。
教育 [ 編集 ]
ヴィクトル・バベシュとボーヤイ・ヤーノシュの名を冠したルーマニア最大の大学であるバベシュ=ボーヤイ大学を初め、多数の国立・私立の大学が集中する大学都市である。
ハンガリー時代のコロジュヴァール大学はセゲドに移転した。
スポーツ [ 編集 ]
- CFRクルジュ - サッカークラブ。1907年創設。
- ウニヴェルシタテア・クルジュ - サッカークラブ。1919年創設。
出身の人物 [ 編集 ]
- ボチュカイ・イシュトヴァーン (トランシルヴァニア公)
- ヴィシュキ・ヤーノシュ (作曲家)
- ヴェーグ・シャーンドル (ヴァイオリニスト)
- ヴェレッシュ・シャーンドル (作曲家)
- エイブラハム・ウォールド (数学者)
- カーロイ・ベーラ (体操競技指導者)
- オイゲン・キケロ (ジャズピアニスト)
- ラズバン・コチシュ (サッカー選手)
- マーチャーシュ1世 (ハンガリー王、ボヘミア王)
- イブラヒム・ミュテフェッリカ (外交官)
- ボーヤイ・ヤーノシュ (数学者)
-
テーケーシュ・ラースロ
(政治家、
欧州議会議員)
姉妹都市 [ 編集 ]
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脚注
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- ^ 『地球の歩き方 2017〜18 ブルガリア/ルーマニア』ダイヤモンド・ビッグ社、2017年、251頁。 ISBN 978-4-478-06019-3。
外部リンク [ 編集 ]
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Virtual trip of Cluj-Napoca - クルジュ=ナポカの地図と所在地
- クルジュ=ナポカ公式サイト (ルーマニア語)
- クルジュ=ナポカ(コロスヴァール)公式サイト (ハンガリー語)
- クルジュ=ナポカ市役所
- クルジュ=ナポカの行事 (ルーマニア語)
- クルジュ=ナポカの眺望