トゥルグ・ジウ
トゥルグ・ジウ
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県都
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Târgu Jiu |
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位置図
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北緯45度2分3秒 東経23度16分29秒 / 北緯45.03417度 東経23.27472度 | ||
国 | ルーマニア | |
県 | ゴルジュ県 | |
地位 | 県都 | |
政府 | ||
• 市長 | Florin Cîrciumaru (社会民主党) | |
面積 | ||
• 合計 | 102 km2 | |
人口 (2002年国勢調査
[1]
)
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• 合計 | 96,641人 | |
等時帯 | UTC+2 (EET) | |
•夏時間 | UTC+3 (EEST) | |
ウェブサイト | http://www.targujiu.ro/ |
トゥルグ・ジウ(ルーマニア語:
Târgu Jiu、Tîrgu Jiu
(1992年まで), Tergu Jiu, Targulu Jiuliu, Tirguschu、ハンガリー語:
Zsilvásárhely
、ドイツ語:
Tergoschwyl, Turgukukuli、ウクライナ語:
Тиргу-Жіу、ロシア語:
Тыргу-Жиу、ブルガリア語:
Търгу Жиу、セルビア語:
Таргу Жију (Targu Žiju)、ヘブライ語:
טרגו ז'יו、ギリシア語:
το Τίργκου Ζίου)は、ルーマニアのオルテニア地方にある都市。ゴルジュ県の県都で、カルパティア山脈の南部、ジウ川(ルーマニア語:
râul Jiu, Jiul,
歴史 [ 編集 ]
6世紀から14世紀にかけて、この地域はブルガリア人が支配していた。トゥルグ・ジウは1406年の文献に初めて登場し、1597年には都市として認められた。1748年に正教会の大聖堂の建設が始まり、1764年に完成した。
第一次世界大戦が終わると、この地で幼少期を過ごした彫刻家の コンスタンティン・ブランクーシによって1938年に戦士記念碑「Calea Eroilor / The Heroes' Street」が建てられた。このほかにも街には「The Table of Silence」、「The Gate of the Kiss」、「Chairs' Alley and The Endless Column」などのブランクーシの大がかりな彫刻作品が置かれており、街の観光スポットとなっている。市の紋章の中央部にも、彼の作品が描かれている。
第二次世界大戦中にはルーマニア系ユダヤ人の強制収容所が建設され、1941年にはモラヴィア系ユダヤ人も収容された。また、ルーマニア共産党メンバーなどの政治犯も収容所送りにされた。しかし、1944年8月に
1950年代初頭に当時の共産党員の市長がブランクーシの「ブルジョア」作品を取り壊そうとしたが、できなかった。
1960年代に入ると石炭の露天掘りが始まり、人口が急増した。この地域の他の地場産業としては、林業、機械製造、織物工業、ガラス製品、セメント、レンガ、タイルなどの建設資材などがある。
1992年にはブランクーシにちなんだ大学が設立された。
人口 [ 編集 ]
- 1889年 - 4,076人
- 1900年 - 6,634人
- 1940年 - 26,634人
- 2002年 - 96,641人(国勢調査)
2002年の国勢調査によると、総人口の96.79%はルーマニア人、3.01%はジプシーまたはロマの人々である。
2009年1月1日時点では、9万5669人が住んでいる [2] 。
交通 [ 編集 ]
トゥルグ・ジウの交通基盤は、トランスロック開発公社が運営する8路線のバスと2路線のトロリーバスで成り立っている。運賃は1回あたり、およそ0.3ユーロ。ターミナル駅はニコラエ・ティトゥレスク通りにあり、駅舎は近年になって建てられた。
5つの大通り(コンスタンティン・ブランクーシ通り、ニコラエ・ティトゥレスク通り、レプブリキー通り、エカテリーナ・テオドロイウ通り、ウニリー通り)が市内の道路ネットワークの根幹を成しており、とりわけエカテリーナ・テオドロイウ通りが大きい。なお、メインストリートはカレア・ヴィクトリエイ(「戦勝通り」の意)である。また、トゥルグ・ジウには、E79やDN67など多くの幹線道路が交差している。
教育 [ 編集 ]
- 大学
- コンスタンティン・ブランクーシ大学
- スピル・ハレット大学
姉妹都市 [ 編集 ]
スポーツ
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]
サッカークラブのCSパンドゥルリイ・トゥルグ・ジウがあり、チューダー・ウラジミレスク・スタジアムというホームスタジアムを持っている。
脚注 [ 編集 ]
- ^ 2002 Census
- ^ “” (Romanian). INSSE (2009年5月19日). 2009年7月26日時点のよりアーカイブ。2009年9月7日閲覧。