ニコラ=クロード・ファブリ・ド・ペーレスク
ニコラ=クロード・ファブリ・ド・ペーレスク(Nicolas-Claude Fabri de Peiresc 、1580年
12月1日
–
1637年
ベルジャンチエ(Belgentier)の裕福な役人の家系に育った。エクス=アン=プロヴァンス、アヴィニョンや トゥルノンのイエズス会の神学校で学んだ。1599年からフランス国内、イタリア、スイスを旅した。最終的に1604年にモンペリエで法律を学んだ。学位をとってエクスに戻り、叔父の仕事を継いでプロヴァンス議会で働き、議会の議長、ギヨーム・デュ・ヴェール(Guillaume du Vair)に仕えた。デュ・ヴェールとともに、1605年から1606年の間パリに旅した。
1610年にデュ・ヴェールが望遠鏡を購入しペーレスクとジョゼフ・ゴーチエ(Joseph Gaultier)が木星の衛星などの天文観測を行った。 1610年にはオリオン大星雲 (M42)を発見したが、この発見は忘れられ、1916年にギヨーム・ビゴルダンによってデュ・ヴェールが発見者であることが見出された。
後にプロヴァンスのエクス高等法院の参事官を務める一方、科学者や芸術家のパトロンになり、化石の研究などを行った。1634年から1637年の間天文学者のピエール・ガッサンディを自宅に同居させた。エクスで没した。
1879年から1897年には、フィリップ・タミゼー・ド・ラロックによって全21集の往復書簡集が出版された。そのうち、
関連項目 [ 編集 ]
脚注 [ 編集 ]
外部リンク [ 編集 ]
- de Peiresc biography and references Galileo Project at Rice University