ニコラ=シャルル・ボクサ
ロベール・ニコラ=シャルル・ボクサ(Robert
Nicolas-Charles Bochsa,
1789年
8月9日
-
1856年
1月6日
[1]
)は、19世紀
フランスの
生涯 [ 編集 ]
1789年にモンメディで生まれる。神童ハープ奏者として活躍した後、1813年に
フランス法から無事に逃れてロンドンに上陸、
1839年に再びスキャンダルに関与、今度はオペラ作曲家ヘンリー・ビショップの夫人でオペラ歌手アンナ・リヴィエラと駆け落ちして、海外に逃亡したのである。ふたりは(フランス以外の) ヨーロッパやアメリカ合衆国で演奏活動を行い、1855年12月にゴールドラッシュに沸くシドニーに上陸した。しかし、オーストラリアでは1回しか演奏旅行を行うことができなかった。シドニーでボクサが急死したからである。アンナ・ビショップはシドニーのキャンパーダウン墓地に、彫刻をあしらったボクサの墓碑銘を贈っている。
脚注 [ 編集 ]
- ^ Biography - Robert Nicholas Charles Bochsa Australian Dictionary of Biography