バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
Bartolomé Esteban Murillo |
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1670年から1673年頃の自画像
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誕生日 |
1617年
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出生地 | スペイン帝国、セビリア |
死没年 | 1682年 4月3日 (64歳) |
死没地 |
スペイン帝国、 |
運動・動向 | バロック |
芸術分野 | 油彩画(宗教画・風俗画) |
バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョ(Bartolomé Esteban Perez Murillo,
1617年
12月31日
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1682年
4月3日)は、
「ムリーリョ」は「ムリリョ」とも表記する
経歴 [ 編集 ]
1618年、スペイン南部の
画風 [ 編集 ]
初期はテネブリスモを中心とした様式であった [2] 。1650年代以降、フランシスコ・エレーラ (子)の影響により、作品に色彩豊かな表現が見られるようになった [2] 。スティロ・バポローソ(薄もやの様式)と称される、画面全体が薄もやに覆われたような夢幻的な作風は、1670年頃からの晩年の作品に顕著である。
聖母マリアの純潔性を表した『無原罪の御宿り』を題材とした絵を何枚か残している。特にセビーリャ美術館に所蔵されている『フランシスコ会士たちの無原罪の御宿り』の、夢見る乙女のようなマリア像と彼女を取り巻く可憐な小天使たちのイメージは、次の世紀のロココ美術を先取りしている感がある。疫病で亡くしてしまった自分の子供達を愛しむかのように、子供を描いた絵も多数残している。ぼろをまとった貧しい少年たちをありのままに描いた風俗画にも傑作がある。彼は子供を次々と5人もペスト等で亡くし、6人目の娘も耳が聴こえなかったため、その娘を思い最高傑作の無原罪の御宿りを描いた。
代表作 [ 編集 ]
- 『乞食の少年』1645年 - 1650年(ルーヴル美術館) [4]
- 『ブドウとメロンを食べる子供たち』1645年 - 1650年(アルテ・ピナコテーク)
- 『 聖母子』1650年 - 1660年頃(ピッティ美術館)
- 『ロザリオの聖母』1650年 - 1655年頃(
プラド美術館) - 『犬を連れた少年』1655年 - 1660年(エルミタージュ美術館)
- 『善き羊飼い』1655年 - 1660年頃(プラド美術館)
- 『
エル・エスコリアルの無原罪の御宿り』1660年 - 1665年(プラド美術館) - 『フランシスコ会士たちの無原罪の御宿り』1668年(セビーリャ美術館)
- 『貝殻の子供たち』1670年(プラド美術館)
- 『アランフエスの無原罪の御宿り』1675年頃(プラド美術館)
- 『ベネラブレスの無原罪の御宿り』1660年 - 1665年(または1678年頃)(プラド美術館)
ギャラリー [ 編集 ]
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『フランシスコ会士たちの無原罪の御宿り』1650年頃 セビーリャ美術館所蔵
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『ロザリオの聖母』1650年-1655年頃 プラド美術館所蔵
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『 聖母の聖ベルナルドゥスへの顕現』1655年頃 プラド美術館所蔵
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『受胎告知』1655年-1660年頃 エルミタージュ美術館所蔵
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『窓辺の二人の女性』1655年-1660年頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵
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『善き羊飼い』1655年-1660年頃 プラド美術館所蔵
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『 エル・エスコリアルの無原罪の御宿り』1660年-1665年頃 プラド美術館所蔵
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『聖母子とパレルモの聖ロザリア』1670年頃 ティッセン=ボルネミッサ美術館所蔵
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『貝殻の子供たち』1670年-1675年 プラド美術館所蔵
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『小さな果物売り』1670年-1675年 アルテ・ピナコテーク所蔵
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『アランフエスの無原罪の御宿り』1675年頃 プラド美術館所蔵
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『窓枠にもたれる農民の少年』1670年-1680年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵
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『無原罪の御宿り』1675年-1680年 ポンセ美術館所蔵
脚注 [ 編集 ]
- ^ “デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2018年1月14日閲覧。
- ^ a b c d プラド美術館 et al. 2002, p. 231
- ^ Britannica Japan Co.,Ltd.; Encyclopædia Britannica, Inc.『ムリリョ』(小項目電子辞書)、2007年。
- ^ 池上英洋『西洋美術史入門』筑摩書房、2012年、91頁。 ISBN 978-4-480-68876-7。
参考文献 [ 編集 ]
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プラド美術館;
国立西洋美術館; 木下亮; 渡邉晋輔; 田辺幹之助『プラド美術館展: スペイン王室コレクションの美と栄光』読売新聞社、2002年。
ISBN
4906536204。