メリリャ
メリリャ
Mlilt
(リーフ語)
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概観
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座標: 北緯35度18分 西経2度57分 / 北緯35.300度 西経2.950度 座標: 北緯35度18分 西経2度57分 / 北緯35.300度 西経2.950度 | |||
国 | スペイン | ||
政府 | |||
• 市長 | エドゥアルド・デ・カストロ ( Cs) | ||
面積 | |||
• 合計 | 12.3 km2 | ||
面積順位 | 19th | ||
人口 (86,384)
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• 順位 | 19th | ||
• % of Spain | 0.16人 | ||
族称 |
メリリャ人 melillense (スペイン語) |
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等時帯 | UTC+1 (CET) | ||
•
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UTC+2 (CEST) | ||
ISO 3166 |
ES-ML
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公用語 | スペイン語 | ||
自治憲章 | 1995年3月14日 | ||
議会 | メリリャ議会 | ||
下院 | 1人(350人中) | ||
上院 | 2 上院議員(264人中) | ||
ウェブサイト | www.melilla.es |
メリリャ
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[3]
、メリージャ
[4]
(
アメリカ:
概要 [ 編集 ]
メリーリャ(Melilla)は、アフリカ大陸にある2つの恒久的に居住するスペインの都市のうちの1つであり、もう1つは近くのセウタである。1995年3月14日に市の自治権規約が可決されるまでは、マラガ県の一部であった。
メリリャは欧州連合(EU)の特別地域の一つである。EUの他の地域とメリリャとの間の移動は、特にシェンゲン条約へのスペインの加盟協定に規定されている特定の規則に従うことになっている [8] 。
2019年現在、メリリャの人口は86,487人 [9] 。人口は主にイベリア系とリフィアン系に分かれている [10] 。セファルディム系ユダヤ人やシンディ系ヒンズー教徒も少数存在する。スペイン語とリフィアン・ベルベル語が最も広く話されており、前者が公用語となっている。
メリリャは、セウタやスペインの他のアフリカに残っている領土と同様に、モロッコの領有権主張の対象となっている [11] 。
政治 [ 編集 ]
面積は約12 km²。人口は2017年時点で8万人程度 [12] 。1995年 3月14日までは マラガ県に属したが、1995年以降自治権を持つ。国会下院に1議席、上院に2議席を有する。
住民 [ 編集 ]
かつて中継貿易やアフリカ植民地支配の足掛かりとして隆盛したメリリャは、第二次世界大戦以降、北アフリカ諸国の独立に伴い、地政学上の重要性が低下すると、急速に衰退した。中継貿易に従事していた、スペイン系住民の一部は本国に引き揚げた。代わりにモロッコ系住民が周辺部から流入した。政情不安のアフリカ諸国から、ヨーロッパへの移住を目指す移民・難民が増え、居住者の半分以上はムスリムである [12] 。
歴史 [ 編集 ]
古代フェニキア人によって建設され、
カルタゴとローマ帝国に相次いで占領された
[3]
。ローマ帝国衰退後はウマイヤ朝、アッバース朝、イドリース朝、ファーティマ朝、ムワッヒド朝、
イベリア半島のレコンキスタは、1492年に最後の イスラム王朝であったナスル朝グラナダ王国が滅びて一段落した。余勢をかったカスティーリャ=アラゴン連合王国は、地中海南岸のイスラム系港湾都市のいくつかを攻撃し、勢力下に収めた。メリリャは、1497年に占領された港湾都市の一つである [3] 。
反攻態勢を整えたイスラム系のサアド朝は16世紀中に多くの領地を回復したが、港湾都市である セウタとメリリャ、モロッコ南部のイフニはスペイン領として後々まで残された。1954年に独立したモロッコ王国は直後にイフニを回復し、現在もメリリャとセウタの領有権を主張しているが、スペイン側は「固有の領土」と主張して要求に応じていない。
1936年
7月18日、
2007年11月にスペイン国王夫妻がセウタとメリリャを訪問したことに対して、モロッコ王国は駐スペイン特命全権大使を召還したため、両国の関係に緊張を招くこととなった [14] 。
交通・経済 [ 編集 ]
港だけでなくメリリャ空港を有し、首都マドリードやスペイン本土南岸のマラガ、 アルメリアとの間に空路が開設されている。マラガ、アルメリア、モトリル港とはフェリーも就航している。船は片道6時間以上の時間が掛かるため、住民の食料品や生活物資の多くをモロッコに依存している。
民生を支えるため、モロッコ側からの入国審査を簡素化し、輸入 関税を安く設定している。モロッコ側の住人や商人はこうした措置を逆手に取り、海外(特にEU地域)製品を買い付ける場として活用している。
人口8万人規模のメリリャの街を訪れるモロッコ人(多くは個人の買い物客や零細貿易業者)は一日当たり約3万人に及ぶ。非公式ながらモスクもあり [12] 、町ゆく人々や街並みはモロッコ国内とあまり変わらない風景となっている。
亡命中継地 [ 編集 ]
経済的に困窮したサブサハラアフリカの住民がヨーロッパ方面へ亡命する中継地の一つとして、メリリャが選ばれることがある
姉妹都市・提携都市 [ 編集 ]
- ムババーネ(エスワティニ王国 ホホ地方)
- カラカス(ベネズエラ・ボリバル共和国 首都地区)
- カヴィテ(フィリピン共和国 カヴィテ州)
- マントヴァ(イタリア共和国 ロンバルディア州)
- モンテビデオ(ウルグアイ東方共和国 モンテビデオ県)
脚注 [ 編集 ]
-
^
辻原康夫『世界の地名ハンドブック』
三省堂、1995年、343頁。
ISBN 4-385-41028-3。 - ^ “ モロッコ王国(各国地域情勢)”. 外務省. 2012年5月16日閲覧。
- ^ a b c d 『コンサイス地名辞典 外国編』、三省堂、1977年7月、P1051。
- ^ 八嶋由香利 著「スペイン人とは」、碇順治(編) 編『スペイン(ヨーロッパ読本)』河出書房新社、2008年、14頁、35頁、36頁頁。 ISBN 978-4-309-61904-0。
- ^ "Melilla" (US) and "Melilla". Oxford Dictionaries . オックスフォード大学出版局 . 2019年5月19日閲覧。
- ^ "Melilla". Merriam-Webster Dictionary . 2019年5月19日閲覧。
- ^ Yahia, Jahfar Hassan (2014) (es,rif). Curso de lengua tamazight, nivel elemental. Caminando en la didáctica de la lengua rifeña. Melilla: GEEPP Ed.
- ^ . Council of the European Union. (2015). doi:10.2860/48294. ISBN 978-92-824-4586-0
- ^ “Cifras oficiales de población resultantes de la revisión del Padrón municipal a 1 de enero”. Instituto Nacional de Estadística. 2020年6月26日閲覧。
- ^ Trinidad 2012, p. 962.
- ^ Trinidad 2012, pp. 961–975.
- ^ a b c d テロの火種、壁の両側に スペイン領メリリャ/モロッコ『朝日新聞』朝刊2017年9月3日(2面)2019年6月10日閲覧。
- ^ 総選挙で人民戦線派が勝利『東京朝日新聞』昭和11年2月18日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p306 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 国末憲人「スペイン・モロッコが「火花」 「飛び地」をカルロス国王訪問、反発」、朝日新聞2007年11月7日付夕刊(東京本社版)、2面。
- ^ “ヨーロッパに密航するため 200人のサハラ移住者が同時に国境の壁を登る”. japanese.china.org.cn (japanese.china.org.cn). (2014年2月19日) 2014年4月21日閲覧。
外部リンク [ 編集 ]
- メリリャ政府公式サイト (スペイン語)
- 世界飛び地領土研究会-メリリャ - ウェイバックマシン(2002年10月24日アーカイブ分)