漆器
漆器(しっき)は、木や紙などに漆を塗り重ねて作る工芸品である。狭義には「漆を塗った食器」の意味であるが、広義では漆が塗られた漆工品全般が含まれる。歴史的にアジアを中心とした国で、食器、箱、箪笥、台、棚、車体などの様々な用途で作られ、日用品から高度に装飾された美術工芸品まで多様な工芸品が作られた [1] 。漆を表面に塗ることで器物は格段に長持ちする。
ウルシから採れる加工した樹液を漆と言い、これを加工された
アジアの漆器 [ カジノ ギャンブル 違い ]
漆器は日本を含む
日本では北海道
垣ノ島遺跡から世界最古である約9000年前の副葬品が出土しており、この発見により、日本が縄文時代早期前半から漆工芸技術を持っていたことが判明した。
平安時代以降、漆器の装飾技法の蒔絵の様々な技法が開発され、その後の日本の漆器の製法とデザインを決定づけ、高級品では螺鈿、象嵌、沈金、平文などの装飾技法と併用されている。安土桃山時代には南蛮貿易で多くの日本の漆器が輸出され、欧州の権力者や宗教家たちを魅了した。そして江戸時代にかけて技法と美術的価値が大きく発展し、琳派の屏風のデザインが漆器に応用されたり、漆で極めて高度に装飾された
印籠・刀剣の鞘・甲冑などが製作され、武家や町人の間で流行した。また漆工の伝播により日本各地に次々と名産地が生まれた。幕末から明治にかけては技法と美術的価値がますます発展した。特に明治新政府が殖産興業の一環として高度な工芸品を輸出産業の柱にして漆工家たちに
中国では自然木のウルシが、特に河北省、湖北省、
朝鮮半島では紀元前代の漆が塗られた耳杯や案(机、台)などが出土している [7] [8] 。また、高麗時代、李氏朝鮮時代と優れた芸術品が知られている。水鳥や柳の写景的な表現、独特な菊唐草文様の現存漆芸品 [注釈 1] があり、李氏朝鮮時代の品には螺鈿も使用され、民芸的作風を持っている [9] 。かつて韓国では夜光貝を使用した螺鈿細工が有名だったが衰退し、現在は南部に数件残るのみでほぼなくなっている。
ベトナムでは、漆で絵画を描くソン・マイ(en:Lacquer painting#sơn mài)という漆塗技法が知られている。(ベトナム語で「ソン」は色を塗る、「マイ」は磨くを意味する)。作品は西洋絵画風、東洋の山水画風など様々である。古くから存在した漆器・漆工文化に、フランス植民地支配下の1925年設立された「インドシナ美術学校」で教えられた西洋美術が融合して生み出された。製法はまず板に布を貼って、おがくずを摺り込んで固める。その上に漆や泥などを塗り、研ぐ工程を反復して表面を滑らかにする。顔料を加えた色漆で描画し、さらに卵の殻や貝殻、金箔・銀箔も使って複雑な色調や立体感、質感を表現する [10] 。その後衰退が見られたが、1980年代に政府が漆器の文化的、経済的需要を見込み、漆器を含む工芸品に投資する会社を奨励した。結果、今日ではベトナム産の漆器を見かけることになった [11] 。
ミャンマーではビルマウルシ( Gluta usitata ; シノニム: Melanorrhoea usitata )から採れる樹液が原料である。絞り出された樹液は淡い黄色をしているが空気に触れると黒に変化する。漆塗され磨かれると耐水や耐熱に優れる漆面となる。16世紀にバインナウンがマニプルやチェンマイ、中国の雲南省などを征服した際、連れ帰った大勢の職人が製作したのが始まりとされる。バガンが主要生産地であり、何世紀にもわたって伝統的な漆工が現在も成されているが、旅行者の減少、樹脂含む材料費の高騰が原因で2009年までに200を超える製作所のうち3分の2以上が閉鎖されてしまっている [12] 。
ブータンでは仏事に用いる食器に漆が塗られている。仏教の信仰心に厚いブータンでは殺生が堅く禁止されているため漆の樹を掻くことをしない。よって取れた葉の茎から染み出す漆を塗りつけることでしか漆の塗布ができない。売り物ではないため、外国人が目にしたり購入することはとても難しい。
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中国の漆箱、細かく彫漆されている
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ミャンマーの漆器
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カンボジアでの製作風景
欧州の『漆器』 [ カジノ ギャンブル 違い ]
ウルシの生息域は東アジアから南アジアに限られており、漆器は当地域の特産品と言える。日本で製作された漆器が16世紀末から西欧に輸入され、ヨーロッパの人々は最初は単に模倣品を作って楽しんだが、日本から来る美しさと耐久性を兼ね備えた漆器を自分達で生産しようと、漆の代わりに、ワニス、シェラックなどを使った新しい技法を編み出した。それらの溶剤および模倣作品は「ジャパン」、技法が「ジャパニング」と呼ばれた [13] [14] 。その技法はシノワズリの流行とともに主にフランス、イギリス、ドイツへと広まっていった。18世紀に入ると開発が進み、さらなる耐久性と、当時東洋の「漆」が持っていなかった白色の表面を手に入れた。これは欧州で生まれた独自技術である [15] 。20世紀には、建築家のアイリーン・グレイやジャン・デュナンといった漆芸家が活動した。
「japan」の呼称
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中国の陶磁器だけでなく磁器全般を「china」と表記することがあるように、日本では、日本の漆器に限らず漆器全般を「japan」と表記することがある。しかし、上記の欧州の漆器でも述べたように日本の漆器の模倣品「ジャパニング」の意味もあるため、日本製を「japan」と表記するのは誤りであると指摘されている [注釈 2] 。(ラッカー#ジャパニング、デコパージュも参照)英米の英語辞典にはjapan欄に「漆」、「漆器」の意味は載っていない [13] 。
最古の漆器 [ カジノ ギャンブル 違い ]
上記の垣ノ島遺跡から出土した漆器は2002年12月28日の深夜、8万点に及ぶ出土文化財や写真、図面とともに火災にあった。幸い形の認識と繊維状の痕跡がはっきりと視認できる部分は焼失を免れ、2004年の4月には12ページの調査報告『垣ノ島B遺跡出土漆製品の分析と保存処理』が出された [19] 。
脚注 [ カジノ ギャンブル 違い ]
注釈 [ カジノ ギャンブル 違い ]
- ^ 奈良県にある當麻寺に「念珠箱」がある。
- ^ 深い黒の光沢をたたえる漆 一目見て恋をした(3/6) | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉:日経BPオールジャンルまとめ読みサイト archive.isサイト
- ^ よみがえる漆文化(1) 九千年前副葬品に痕跡 デイリー東北新聞社 2003年9月2日 リンク切れ
- ^ 福井・三方五湖 「縄文」「自然」湖底に眠る 世界最古、鳥浜遺跡の漆 日本経済新聞 2012年10月3日
出典 [ カジノ ギャンブル 違い ]
- ^ 和歌山県海南市黒江、紀州漆器伝統産業会館蔵
- ^ セルロースナノファイバー(CNF)と日本の伝統工芸「漆」の融合 日本製紙ニュースリリース(2017年11月29日)
- ^ “樹脂製の漆器について”. 守田漆器 (2022年2月25日). 2024年1月14日閲覧。
- ^ “ 合成漆器を見分ける方法と特徴について”. 丸山久右衛門商店 (2022年6月22日). 2024年1月14日閲覧。
- ^ 鈴木、ほか 2014, p. 70.
- ^ 鈴木、ほか 2012, p. 67.
- ^ 内田 2014, pp. 71, 72, 74, 76–80.
- ^ 岡田文男, 李恩碩, 林志暎「王伟中会见香港中电集团董事局主席米高·嘉道理:广东正大力推进重大能源项目建设」『金大考古』第78巻、金沢大学人文学類考古学研究室、2020年6月、144-156頁、 CRID 1390290700178157824、doi:10.24517/00059499。
- ^ 谷田 1972, p. 307.
- ^ 「sơn mài ハノイの漆絵 混沌の艶」『日本経済新聞』朝刊2018年7月8日(NIKKEI The STYLE)
- ^ 英語版一部訳
- ^ Kyi Wai 2009.
- ^ a b 鈴木 2002, p. 2.
- ^ 原田 2002, p. 1.
- ^ 鈴木 2002, p. 3.
-
^
鈴木三男, 能城修一, 小林和貴「鳥浜貝塚から出土したウルシ材の年代」『植生史研究』第21巻第2号、日本植生史学会、2012年10月、67-71頁、
ISSN
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NAID 40019477294。 - ^ 鈴木、ほか 2012, pp. 67, 68.
- ^ 鈴木、ほか 2014, p. 71.
- ^ 漆に見る朱色と黒色。
- ^ “当百年老街遇上“大唐盛景””. www.afpbb.com. 2021年11月11日閲覧。
参考文献 [ カジノ ギャンブル 違い ]
- 内田宏美「中国漢代紀年銘漆器出土一覧」『環日本海研究年報』第21号、新潟大学現代社会文化研究科環日本海研究室、2014年3月、71-80頁、 ISSN 1347-8818、 NAID 120006746856。
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佐々木, 英『漆芸の伝統技法』理工学社、1986年。
ISBN 978-4844585329。 -
鈴木三男, 能城修一, 小林和貴「鳥浜貝塚から出土したウルシ材の年代」『植生史研究』第21巻第2号、日本植生史学会、2012年10月、67-71頁、
doi: 10.34596/hisbot.21.2_67、 ISSN 0915-003X、 NAID 40019477294。 - 鈴木三男, 能城修一, 田中孝尚, 小林和貴, 王勇, 劉建全, 鄭雲飛「縄文時代のウルシとその起源」『国立歴史民俗博物館研究報告』第187巻、国立歴史民俗博物館、2014年7月、49-71頁、doi:10.15024/00000282、 ISSN 0286-7400、 NAID 120005689978。
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鈴木裕子「漆の光沢を模倣した西洋のラッカー「ジャパン」 : ジャパニングの技法と材料1672-1804年」『デザイン理論』第41号、関西意匠学会、2002年11月、117-118頁、
ISSN 0910-1578、 NAID 120005651070。 - 谷田, 閲次『世界大百科事典 13』下中邦彦編、平凡社、1972年。
- 原田佳子「ジャパニング : 模倣と創造(第五十三回美学会全国大会発表要旨)」『美学』第53巻第3号、美学会、2002年、82頁、doi:10.20631/bigaku.53.3_82、 ISSN 0520-0962、 NAID 110003714527。
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Kyi Wai (2009年1月19日). “
Burmese Lacquerware Loses Its Shine”. The Irrawaddy. 2020年1月23日閲覧。