黄玹
黄 玹 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 황 현 |
漢字: | 黄 玹 |
発音: | ファン・ヒョン |
日本語読み: | こう げん |
ローマ字: | Hwang Hyun |
黄 玹(ファン・ヒョン、こう げん、1855年 12月11日 - 1910年 9月7日)は、李氏朝鮮末期の士人・儒学者。韓国においては憂国の士として評価されている。号は梅泉(メチョン)。本貫は長水黄氏。歴史学者の黄義敦(ファン・ウイドン)は同族。
生涯 [ 編集 ]
全羅南道
光陽に生まれ、
彼は既存の儒教的史観にとらわれず、当時の為政者の実態、官吏の腐敗を批判した梅泉野録を著した。これは韓国近代史の史料として価値が高い。
1910年、日韓併合条約締結によって国が奪われたことに悲憤し、条約締結の1週間後、求礼の自宅で服毒自殺した。自決に際して残した『絶命詩』は、張志淵(チャン・ジヨン、장지연)が主筆を務めていた『慶南日報』(
死後 [ 編集 ]
求礼の黄玹宅跡地には現在彼の影幀と位牌が納められた祠堂・梅泉祠が建てられており、遺品を展示した遺物館も設置されている。
著作 [ 編集 ]
脚注 [ 編集 ]
- ^ 오영섭 《한국 근현대사를 수놓은 인물들(1)》(오영섭 저, 한영희 발행, 2007.4, 경인문화사) 315p
- ^ a b 梅泉野録(読み)ばいせんやろく世界大百科事典 第2版
- ^ 賄賂の話崔碩義、東洋経済日報、2008/04/18
- ^ 西村俊一「日本のエコロジズムと教育 : (3)昭和の農本主義とその行動」『国際教育研究』第12号、1992年3月、1-25頁、 ISSN 0389-3189、 NAID 120006505467。