グエン・フー・ト
グエン・フー・ト
Nguyễn Hữu Thọ
阮有壽 |
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1932年
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生年月日 | 1910年 7月10日 |
没年月日 | 1996年 12月24日(86歳没) |
所属政党 |
インドシナ共産党
ベトナム共産党 |
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在任期間 |
1980年
3月30日
-
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在任期間 | 1981年 7月4日 - 1987年 4月19日 |
国家評議会議長 | チュオン・チン |
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在任期間 |
1981年
7月4日
-
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国家評議会議長 |
チュオン・チン ヴォー・チ・コン |
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在任期間 | 1976年 7月2日 - 1981年 7月4日 |
国家主席 | トン・ドゥック・タン |
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在任期間 | 1969年 6月8日 - 1976年 7月2日 |
グエン・フー・ト(
ベトナム語:
Nguyễn Hữu Thọ
/
阮有壽
、1910年
7月10日
-
1996年
12月24日)は、ベトナムの政治家。ベトナム戦争中は
コーチシナのフランス語教育を受けた弁護士であり、彼はまたフランス社会党(労働者インターナショナル・フランス支部)の一員であり、ベトナム独立闘争の参加者であった。彼は、1949年にインドシナ共産党に入党したが、党員であることは秘密にしていた。1950年から1952年まで抑留。彼は1954年のジュネーヴ協定を支持したが、これはゴ・ディン・ジエム大統領の南ベトナム政府により拒絶された。その後第一次インドシナ戦争に参戦した。1954年8月、彼は「
平和及びジュネーヴ協定擁護委員会
」を創設した。委員会は同年11月、南ベトナム政府により壊滅・禁止され、グエン・フー・トと他の委員は警察の襲撃の後、投獄された
1976年7月の統一ベトナム国会(第6期第1回会議)において彼は国家副主席の一人に選出され
[4]
、さらに1980年
3月30日のトン・ドゥック・タン国家主席の死去に伴い、翌31日に主席代行に就任した
[5]
。しかし1980年12月の憲法改正によって国家主席職は廃止されることとなり、1981年
7月4日にチュオン・チンが国家評議会議長に就任。グエン・フー・トは国会議長に転任し、1987年まで務めた。
1990年11月に来日し、明仁天皇の即位の礼に参列
国際レーニン平和賞を受賞(1983 - 84年)。
脚注 [ 編集 ]
参考文献 [ 編集 ]
- Kiernan, Ben. How Pol Pot Came to Power. London: Verso, 1985
- 福田忠弘『ベトナム北緯17度線の断層 ― 南北分断と南ベトナムにおける革命運動(1954 - 60)』成文堂、2006年
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